「ジョージおじさんは父と親しかったせいもあり、私は彼をもうひとりの父親として見ていました。幼いころから、彼は私の相手をしてくれました。プレゼントをくれたり、私が話すことを何でも聴いてくれたり、とてもやさしかったです。そして、仕事の面でもいつもとても助けてくれました。これからもいままで同様、私の人生に多大な影響を与えてくれるでしょう」 。
〜ラビ・シャンカールの娘、アヌシュカ(Anoushka)


「愛しい人よ、さよなら。ATMP(All Things Must Passの略)」
〜ピート・タウンゼンド(Pete Townshend)


「我々は皆ジョージ・ハリスンの死に深く悲しんでいます。現在我々が享受している音楽、文化を形作ったひとりとして彼が与えてくれた影響はとても大きいと言って過言ではありません。ミュージシャンとして、またひとりの人間として、彼は我々の住む世界を変えることに貢献しました。我々は彼と知り合えたことを誇りに思います」
〜EMIレコード・グループ(イギリス&アイルランド)社長兼CEO、トニー・ワッズワース(Tony Wadsworth)


「ビートルズの中でもジョージがいちばん好きだった。彼は感受性が強くいつも高潔だった。彼の曲は甘く深かった。すばらしいプレイヤーである以上に、ギターだけであのような感情を伝える彼の才能は、ビートルズの音楽のなかですごく大きな役割を果たしていたと 思う。彼は秘密兵器だったんだ。僕が初めて知ったギターのひとつが‘Something’のリードなんだ。11歳の頃だった。僕は僕らの初めてのレコードの曲‘Oh, George...’で彼に敬意を表している。スライドのリードも参考にしたしね。彼のことはいつでもいちばん好きだった。そしてこれからもそうだろう」
〜フー・ファイターズのデイヴ・グロール(Dave Grohl)


「とても、とても悲しい。彼は人生をかけて探していたものが見つかったのだろう。そうであってほしい。すばらしいバンドだ。彼らは最高のソングライターだ。単純にそういうことだよ。彼らの音楽はいつまでも色あせない。そういうバンドはない。いまだに毎年300万枚のレコードが売れてるっていうんだから、ぶったまげるよ。そんなバンドほかにないよ」
〜オアシスのノエル・ギャラガー(Noel Gallagher)


「ジョージ・ハリスンの訃報を聴き、大変ショックを受け、悲しみを感じている。世界中の大勢の人たち、彼の世代のすべての人たちとともに、私たちすべてに感動を与えてくれた、感受性と精神性を持ったミュージシャンの死を深く追悼したい。ビートルズでの彼の業績と、彼の大切なソロ・レコーディング以外においても、ジョージは、1960年代に、世界の注目を集めたインド文化の影響をもたらし、その結果、西洋の音楽の方向性を変えた、最初の人物だった。彼はまた、彼のハンド・メイド・フィルムスという映画制作会社を通じ、イギリス映画界の復興を、ほとんどひとりで引き受けた。彼の貢献なしには、『ザ・ライフ・オブ・ブライアン(The Life of Brian)』、『ブラジル(Brazil)』、『ウイズネイル・アンド・アイ(Withnail and I)』、『モナリザ(Mona Lisa)』、『ア・プライベート・ファンクション(A Private Function)』をはじめとする、多くの映画が制作されなかっただろう。
クリームの“GOODBYE”のセッションで、彼といっしょに仕事ができたことを光栄に思う。彼の‘Badge’での、すばらしいリズムのあるギター・ワークに刺激され、僕の初めてのソロ・アルバム、“SONGS FOR A TAILOR”のなかの、‘Never Tell Your Mother She’s Out of Tune’で、プレイしてほしいと、思わず頼んだほどである。このとき彼は、契約上の理由から、「ラ・アンジェロ・ミステリオソ(L'Angelo Misterioso)」という名前を使ってくれた。彼は、ライブ・レコーディングのために、だれよりも早く、開始1時間前にスタジオに現れるほど、このセッションを真剣に捉えてくれた!
僕はまた、「静かなビートルズ」である彼に、特別な共感を持っている。僕もまた、「静かなクリーム」だったからだ。
さようなら、ジョージ。君がいなくてさびしい。
ジャック・ブルース」
〜元クリームのジャック・ブルース(Jack Bruce)


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