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ジョージ・ハリスンが死去2


ジョージが29日午後1時30分(日本時間30日午前6時30分)、ロス・アンジェルスにある古くからの友人宅で死亡した。友人によるとジョージは、妻のオリビアと23歳になる息子のダニーに看取られて静かに息を引き取ったという。
ジョージは2001年秋、ニューヨークのスタテン島大学病院の外科医、ギル・レダーマン(Gil Lederman)による脳腫瘍の放射線治療を受け、日本の新聞をはじめ各国のメディアにより「ジョージ衰弱」「生き残る最後のチャンス」また、「余命1週間」と報道されていた。

ジョージの闘病生活は1997年に遡る。この年の7月下旬に喉頭癌の手術を受け、成功。イギリスのロイヤル・マースデン病院で放射線治療を受け、1998年1月にミネソタ州のメイヨー・クリニックで検診を受けたが、再発は見られなかった。
当時、ジョージはこうコメントしていた。;
「原因はタバコだろう。ずっと禁煙していたけど、一時期吸っていたこともあった。去年からまたやめたけどね。まだ初期段階で、転移していなかったのが幸運だった。癌という言葉を聞くとだれもが死を連想するが、そうでないときもある。ときには悲しいこともある。それが人生なんだ。古い言葉だけど、人生はハスの葉の上の雨のしずくのようなものだからね」
1999年末には、自宅で暴漢に襲われるという大事件が起った。1999年12月30日にジョージと妻のオリビアは、ヘンリー・オン・テムズの自宅フライアー・パークで襲われ負傷した。ジョージは胸を4か所刺されたが、命には別状はなく、大きな精神的ショックは負うものの2000年1月1日に退院。
そして1年後の2001年1月、ジョージは待望の“ALL THINGS MUST PASS”のデジタル・リマスター盤をリリース。それに伴い各メディアで積極的なプロモーションを行なったことは記憶に新しい。
しかし、同年5月には、アメリカで肺癌手術を受けたことが明らかになった。ジョージは、ミネソタ州のメイヨー・クリニックで、片方の肺から癌腫瘍を摘出。手術の術式は成功し、ジョージはイタリアのトスカーナ地方の別荘で療養をしていると伝えられた。
さらに7月、スイス『ゾンタークツァイトゥング』紙で、5月・6月とスイスのサン・ジョバンニ病院で脳腫瘍の治療のためコバルト放射線療法を受けていたことが報じられた。ジョージはファンに“God bless and not to worry(神のご加護を、心配しないで)”とメッセージを送るが、この報道から、ジョージの病状に関する報道は一気に過熱。イギリスのタブロイド紙や日本のスポーツ紙が、ジョージ・マーティンがジョージは死を覚悟していると告白したと一斉に報道された。この報道は、ジョージ本人とジョージ・マーティンから即座に否定されるも、心無い報道に「落胆し、うんざりした」と語っていた。
そして『ニューヨーク・ポスト』紙10月30日付に、ジョージが、スタテン島大学病院(Staten Island University Hospital)で治療を受けていると報道されたのを皮切りに、ふたたび報道が頻繁になっていた。11月19日には、息子のダニーと共作した‘Horse to the Water(ホース・トゥ・ザ・ウォーター)’(ジュールズ・ホランドのアルバム、“SMALL WORLD BIG BAND(スモール・ワールド・ビッグ・バンド)”に収録)がイギリスでリリース。活動再開を期待するファンの声が高まる矢先の死だった。


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