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イギリスの学校新聞がポールに独占インタビュー


ノーサンバーランド州にある学校ナニーカーク・スクールの生徒たちが、学校新聞『ゲット・アップ・リード・アップ』のために、ポールに独占インタビューを行なった。
ナニーカーク・スクールは重度の読書障害をもつ子どもたちのための、生徒数50人たらずの小さな学校。11歳のジョー・マシューズという新聞部の生徒の父親が、ビデオ『ザ・ビートルズ アンソロジー』でフィルム・エディターをつとめたときにポールと知りあったことから、息子たちに代わってまずポールに打診して承諾を得て、そのあと生徒たちとポールとのあいだでファックスをやりとりした。インタビューの主な内容は次のとおり。

最初に音楽に興味を持ったときのこと、最初に弾いた楽器について。
「家ではいつも音楽がかかっていて、音楽を聴きながら育った。親父がミュージシャンだったから、しょっちゅうパーティなんかでピアノを弾いていたし、親父はどんな曲でも知っていた。僕が最初に手にした楽器はトランペットだった。でも僕は楽器を弾きながら歌も歌いたかった。トランペットをくわえていたら歌が歌えないから、ギターに変えて、自己流で弾き方を覚えた」
学校時代のこと、ビートルズのメンバーと出会ったときのことについて。
「勉強はあんまり好きじゃなかったし、授業もあんまりおもしろくなかった。勉強よりも音楽にのめり込んでいた。最初に曲を作ったのは14歳のとき。ジョンとはリバプールのガーデン・パーティで初めて会った。ジョンは自分のバンドをバックに歌ってて、そのスタイルがかっこいいと思った。ジョンと話をして、バンドに入らないかって誘われた。ジョージのことをジョンに紹介したのは僕だった。ジョージとはいっしょに学校に通っていた。ジョージをグループに入れるかどうか決めるのに、2階建てバスのてっぺんでオーディションをした。リンゴは、僕らロックンロールをやってる仲間のなかでは有名だった。ハンブルク巡業でいっしょになったとき以来、僕らはリンゴのことをすごいと思っていた。リンゴを(ビートルズに)入れたのは、すばらしいドラマーだからだ」
ステージに立つときにあがることがあるかという質問に対して。
「ショーの前はすごくあがる。でもあがるということは、自分がこれからやろうとしていることに集中しているという証拠だから、いいことだと思う。みんなにいいショーを観せたいからね」「有名になるまでどのくらいかかったかって?果てしなく長い年月がかかったような気がするけど、実際にはあっというまだった。ようやくレコード契約をとりつけたと思ったら、いつのまにか有名なっちゃったっていう感じだった。今になってみると、ビートルマニアが大騒ぎしていたころ、僕らはまだずいぶん若かったんだなってつくづく感じるよ」
有名人であるがゆえのプレッシャーについて。
「いちばんたいへんなことは、プライバシーが守られないこと。でも、もともとこういう仕事を選んだ段階で、有名になったらどんなことになるのか想像がついたことだ。まわりから認められたり有名になりたいというのは、最初から自分が望んでいたことなんだから、有名になってプライバシーがないなんて文句を言っちゃいけない」「いちばんうれしいのは、僕の曲が好きだと言われること。心のかてになる」
好きな場所についての質問で、ポールは間接的にリンダのことについてふれた。
「好きなところはパリ、イギリス、南アメリカ、オーストラリア。そして何といってもアメリカが好きだ。僕はアメリカ人と結婚したからね」


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