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BBCニュース、サー・ポール・マッカートニーの歌とトークを放送


BBCアメリカは、スペシャル番組『マッカートニー・ナイト』で、ポール・マッカートニーとの歴史的かつ親密なインタビューの放映を決めた。番組では、伝説的なミュージシャンが実際にテレビで演奏する貴重な映像を観ることができる。
1960年代と言えばビートルマニアと同義語だ。イギリスのトーク・ショーの大御所ホストであるマイケル・パーキンソンによる親密なインタビューで、60年代を形作るのに一役買った人物であるポールは、みずからの非凡なキャリアをふりかえり、ジョン・レノンとの確執、近年、妻のリンダを亡くしてからの涙を誘う生活ぶりについて語った。
“パーキンソン、ポールに会う”は、長年の約束が実現した結果だ。1974年、パーキンソンはウイングスのアルバム“BAND ON THE RUN”のジャケット写真に登場することに合意し、ポールはそのお返しとして、この人気トーク番組への出演を約束したのだ。まさか25年も待たされるとは、パーキンソン自身も思っていなかっただろう。
ポールは、1998年4月に癌でリンダを亡くしてからのつらい体験を明らかにした。
「彼女はとても美しく強い女性で、失いたくなかった。僕らはラッキーだったんだ。彼女はほんとうに僕の恋人だった。いつもいっしょに過ごしていたし、離れていたくなかった。人に『今夜はひとりで過ごせばどうだい?』と言われても、僕は『どうしてだい?彼女はすばらしいし、彼女と寝るのが好きなんだ!』と答えていたよ」
また、60年代をふりかえり、史上もっとも有名なロック・バンドのひとつ、ザ・ビートルズのメンバーだったころの生活についても語った。
1942年6月18日、リバプールの労働者階級の両親のもとに生まれたポールは、14歳で父親にギターを買ってほしいとねだったときから、ポピュラー・ミュージックの世界を永遠に変えてしまった。エルビス・プレスリーやリトル・リチャードの影響を受けたポールは15歳でジョン・レノン率いる地元のスキッフル・グループ、ザ・クオリーメンに参加する。
ジョンはどんな人でしたかと聞かれたポールは、「かっこよかった、とてもかっこよかったよ。悲劇を数多く経験しているから、とても複雑な男だったけど」と答えた。また、レノンが亡くなる前に、有名な音楽パートナーとの公然のけんかをどんなふうに修復したかについても語った。
ほかのミュージシャンとのパートナーシップを考えたことはあるかという質問には、「ジョンの代わりを見つけるのはまず無理だろう」と答えている。ポールは、この番組内で多くの曲を演奏している。ビートルズの名曲‘Yesterday’‘The Long andWinding Road’、そして亡き妻のリンダの影響を受けて製作した最新アルバム“RUN DEVIL RUN”から‘Honey Hush’‘All Shook Up’などだ。"Later with Jools Holland"では、ポールは自分のルーツへさかのぼり、“RUN DEVIL RUN”からさらに数曲演奏している。それらの曲は、‘No Other Baby’‘Brown Eyed Handsome Man’、そして古典の‘Party’のロック・バージョンである。


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