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『IMAGINE』11月上旬より渋谷シネパレスにて独占レイトショー!


『IMAGINE』11月上旬より渋谷シネパレスにて独占レイトショー!

「イマジン」は彼の一部です。この曲に彼の夢や理想が結晶となっています。
彼が世界に訴えたかったことが込められているのです。
―オノ・ヨーコ


1988年/アメリカ映画/カラー/106分/35mmビスタサイズ
監督・制作・脚本:アンドリュー・ソルト
制作:デイヴィッド・ウォルバー
制作・脚本:サム・イーガン
音楽編集:ジョージ・マーティン
出演:ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、シンシア・レノン、ジュリアン・レノン
ショーン・レノン、ポール・マッカートニー他

収録曲36曲
イマジン、リアル・ラブ、イン・マイ・ライフ、ハウ?、ジュリア、マザー、
ビーバップ・ア・ルーラ、ラブ・ミー・ドゥ、ジェラス・ガイ、ヘルプ、
ひとりぼっちのあいつ、ア・ディ・イン・ザ・ライフ、レボリューション、
ジョンとヨーコのバラード、ドント・レット・ミー・ダウン、平和を我等に、
ゴッド、ハウ・ドゥ・ユー・スリープ、
アクロス・ザ・ユニヴァース、スタンド・バイ・ミー、ウーマン、
ビューティフル・ボーイ、スターティング・オーヴァー他

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もう一度、『イマジン』     和久井光司(音楽家/詩人)

 ジョン・レノンが非業の死を遂げてから、今年で20年になる。その年、つまり1980年
に生まれた子供が成人となってしまったわけだから、普通の時間軸で考える20年という年月はかなり長い。じゃあ、その長い間にジョン・レノンはすっかり“過去の人”になってしまったかというと、そうではない。むしろ逆だ。ビートルズと彼の音楽を愛するファンは、ジョンの新作を望めないことで彼の“不在”を痛感してきたはずだが、しかし全人類的には、彼が亡くなってからの方が、ジョン・レノンという存在を身近に感じる機会が多くなっているのではないだろうか。
 死をもって“歴史上の人になった”ということ、社会的には下世話なネタとして語られるのを免れない“ロック・スターという地位から解放された”ということが、60年代に興隆を極めた20世紀のエポック的な若者文化の中心にいた“ジョン・レノンの功績”をクローズアップさせるきっかけになったのは確かだが、70年代初頭から彼の音楽や行動をリアルタイムで体験していたぼくの目には、時にはそんな死後の評価が奇異なものに映るのだ。
 たとえば“思想家ジョン・レノン”とか、“平和運動家ジョン・レノン”といった類いの語り口である。「それは違う…」と、ぼくは思う。確かにジョンがオーディエンスに向けて放った言葉、詩には、ひとつの思想とも取れる彼のメッセージがあふれていた。実際にヴェトナム戦争やアメリカにおける社会的な差別に、具体的な行動をもって抗議したこともあった。しかし彼は、主義・主張を大書した旗を掲げて大衆を扇動したわけではないし、ある集団のリーダーだったわけでもない。
 ジョンは単に“想い”を歌にしただけなのだ。わがままで、勝手で、子供のように純粋で、ゆえに時には残酷な、個人としての“想い”を語っただけなのである。それは主義・主張に裏打ちされた、思想と呼ぶべきものとは明らかに異なるものだ。肉体を持たなくなってからのまつりあげられ様を天から眺めるジョンは、きっとこう言うに違いない。
 「思想? 何だそりゃ!」「世界平和? 知ったことか!」
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 映画『イマジン』は1988年に初公開された、ジョン・レノンの生涯を記録したドキュメンタリーである。テレビや映画、ニュース・フィルム、プライヴェイト・ムーヴィーなどに残る“動くジョン・レノン”と、関係者へのインタヴューで、40年と2ヵ月の生涯を立体的に浮かび上がらせた、伝記映画史上に残る傑作だ。秀逸なのは、すべてのナレーションがジョン自身の発言を紡いで完成されているところで、その淡々とした語り口が作品全体のリズムを決定している。
 もちろんぼくは初公開時に劇場で観た。そして、泣いた。それからヴィデオでも観た。また、泣いた。何度も何度も観た。何度も何度も泣いた。この原稿を書いている今も、映画のシーンを思い出してしまって、もう涙でワード・プロセッサーの液晶画面が見えなくなりかけている。
 「ジョンはすごいなぁ」と歌や演奏に感動させられるわけではない。「殺されちゃうなんて…」と感傷にひたらせられるわけでもない。音楽の才能があった田舎の兄ちゃんの栄光と挫折が静かに語られるだけなのだ。でも、だからこそ、ぼくにもきみにも重なる“人間のドラマ”にぼくらは入れこんでしまう。
 アスコットの邸宅にまぎれこんでジョンに教えを乞うヒッピーは、ぼくであり、きみであるのだ。あの時、もしジョンが彼の思想や芸術論で迷える子羊を論破したら、彼はきっと幸せな老後を送り、伝記映画はまったく違ったものになっただろう。しかしジョンは、不幸なことに、そういう人ではなかった。なぜなら彼は“人として生きる苦しみ”をあまりにも深く知っていたからである。
 “Are you hungry?”  それはいみじくも、永遠に迷える子羊であるすべての人間に向けて放たれた、ジョン唯一の根源的メッセージとして記録されたのだった。


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