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アンディ・デイビスがイマジン・セッションの思い出を語る


アンディ・デイビス(Andy Davis)が、ジョン・レノンのイマジン・セッションの思い出を『MOJO』誌4月号に語った。

「僕のバンド、スタックリッジ(Stackridge)は、オックスフォード・ストリートのそばにあるシェリー・コーポランド・エンタープライズ(Sherry-Corpoland Enterprises)と契約していて、僕はほとんどそこで時間を過ごしていた。
午後5時にオックスフォード・ストリートでバスを待っていると、ロッド・リントン(Rod Lynton)が僕をタクシーの中に引っぱり込んだ。彼は自分のアドレス帳のすみからすみまでを調べて、ロンドンでたったひとりの左利きギタリストの僕を見つけたのだった。彼は僕に『すごいセッションをしないか?今からウェイブリッジ(Waybridge)に行って、ジョン・レノンといっしょにプレイするんだ』と言った。
ビートルズ解散以来、ジョージ・ハリスンは、いつもレコーディングのとき、バック・トラックのアコースティック・ギターにバッドフィンガー(Badfinger)のメンバーを使っていた。ジョンは彼のアイデアをまねたんだ。ラッキーなことに、バッドフィンガーはその時アメリカ・ツアー中で、ロッドはその埋め合わせを頼まれていたのだ。
スタートリング・サウンド・スタジオ(Startling Sound Stadio)に着いたころには、日も暮れていた。僕らはマル・エバンス(Mal Evans)に案内され、必要なときになったら呼ぶから、と言われた。
部屋の真ん中には螺旋階段があり、階段の上にふたりの足が見えた。ジョンとヨーコだった。それからフィル・スペクターが現れた。ジョンはとてもリラックスしている様子だった。
マルからお呼びがかかり、僕らはスタジオに案内された。すると、ジョンはロッドと僕に‘Oh Yoko(オー・ヨーコ)’のコードを教えてくれた。僕らは‘Oh Yoko’をバンドの他のメンバーと演奏し、ジョンが生で歌った。トラックが終了すると、ジョンはバック・コーラスをやってみたいから、僕とロッドに歌えるかときいてきた。僕らは何テイクもやり、僕はフラットのパートを歌ったのだが、僕の歌声は完成したLPには入ってなかったと思う。初日のレコーディングは短時間で終わり、僕は運転手付きの車で送られロンドンに帰った。いつもベイズウォーター(Bayswater)でリムジンを降りて、7人で借りている小さなフラットへ戻ったものだ。
僕は“IMAGINE(イマジン)”のジャケット用の顔写真を撮影され、できあがった写真は露出過度だったが、ジョンはその写真を気に入り、それを使用した。そのあと、マルが『ジョンがライブを考えていて、アコースティック・ギターが必要になるかも知れないが、できるか?』ときいてきた。
しかし、結局マルから連絡はなかった。イマジン・セッションの行われた週末、僕は自分のバンドのギグがクリーソープス・ウィンター・ガーデンズ(Cleethorpes Winter Gardens)であり、そこに行かなければならなかった。そのセッションでは、リンゴ・スターがドラムをたたき、ジョージ・ハリソンがリード・ギターを弾き、ジョンがボーカルをとった。僕はビートルズの3人と演奏するチャンスを逃してしまったのだ。」


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