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スチュワート・サトクリフ展、続報


『Stuart Sutcliffe: From the Beatles to Backbeat(スチュワート・サトクリフ:ビートルズからバックビートまで)』展示会は、スチュアート・サトクリフの100点ほどの絵画やスケッチが一堂に公開される。
かつてビートルズのメンバーだったStuart Sutcliffe(スチュアート・サトクリフ)の兄弟にあたるPauline Sutcliffe(ポーリン・サトクリフ)は、クリーブランドのRock and Roll Hall of Fame and Museumを訪れて、近日公開の展示会のために色々な準備をした。
スチュアート・サトクリフには、その短い人生(サトクリフは1962年、脳出血のために亡くなっている)において、非常に重要な位置を占めたふたりの人物、ジョン・レノンとと、サトクリフのフィアンセである写真家Astrid Kirchherr(アストリッド・キルヒャー)だった。
彼女は滞在中に、スチュと彼らとの人間関係ついての話し合いをおこなう機会をもち、次の様に語った。
「わたしの母は、息子スチュアートの身の上に起こったことのなかで一番望ましくなかったことは、ジョンが彼をグループに加えたことだ。もし彼がグループに入らなかったら、ドイツに行くなんてことはなかったでしょうし、死んでしまったりもしなかったでしょうと言っていました。その点では自分の考えも母親とおなじだ」
また、「キルヒャーはスチュの所有物を家族のところに返還するという約束をしていたが、1年後に私たちは、正式な要求をしなければ返還してもらえなかった〜スチュが亡くなる直前に、一番心に想っていた人は、Joyce(ジョイスは、ポーリンの姉にあたる)なんだ、というふうに考えています。スチュが、ジョイス宛に書いていた手紙からもうかがえるのです。わたしの母はこの考えを持ったまま、亡くなっ
てしまったのです。」「母が亡くなって数年後、わたしはSotherby(サザビー)のカタログに、母にあてたふたつの未完成の手紙が載っているのを知りました。スチュからの手紙を母は知らないまま亡くなってしまったのです。それらの手紙は非常に私的なものでした。その手紙を捨ててしまってもいいわ。けれども、売りに出すのはやめてください!と、キルヒャーにこう言いたく思いました」などと、語った。


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