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ポール、ヘザー・ミルズとアイルランドの古城で挙式


6月11日、ポールは北アイルランド、モナハン州グラスローにあるレズリー城で、ヘザー・ミルズと結婚式を挙げた。近親者300人を招待し、マスコミをシャットアウトしたアットホームな挙式となった。ベストマンはリンダのときと同じくポールの弟マイクが、ブライド・メイドはヘザーの妹フィオナが務めた。
レズリー城は17世紀に建てられた1,000エーカーの敷地を持つ広大な古城。ポールは母メアリーがモナハン州出身であること、1年前にこの城を訪れていたく気に入ったことを理由に、ここを結婚式の会場に決めたという。城の敷地内にあるセント・サルバトール教会で式を執り行ったのは、ポールの母メアリーの知人で、クロア地方の大執事セシル・プリングル師。
当日、ポールはスリー・ピースのダーク・スーツに淡いピンクのネクタイ、襟のボタン・ホールには1本のマッカートニー・ローズ(濃いピンクのバラ)といういでたち。ヘザーは、ふたりのデザイナーの協力を得てみずからデザインしたウェディング・ドレス姿、手には11本のマッカートニー・ローズと2本のシャクヤクの花からなるブーケを持っていた。
花嫁は、16時30分開始の式に伝統にのっとって少し(約8分)遅れて到着。“DRIVINGRAIN”に収録されている‘Heather’をアレンジしたウェディング・マーチにのせて教会に入場した。
誓いの言葉では感極まって涙があふれ、言葉を詰まらせたという。式では、詩人エイドリアン・ミッチェルがふたりのために特別に書いた“Roses In The Summertime”と題する詩を朗読した。晴れて夫婦となったふたりが退場するときには、ポールが1960年代に書いた映画“THE FAMILY WAY”のサウンド・トラックから‘Wedding March’が流された。そして午後5時、ふたりが誓約を交わしたことを告げる教会の鐘がアイルランドの村に鳴り響いた。
挙式後の披露宴は、敷地内に建てられた3つの大テントで行なわれ、シャンペン、ビンテージ・ワイン、ビール1,000本とともに、インドふうベジタリアン料理が金製の食器でふるまわれた。湖のそばにはダンス・フロアも建てられ、夜にはレズリー城がライトアップされた。クライマックスには花火が打ち上げられ、新郎新婦のふたりはボートで湖を渡り、バラのアーチの下で招待客に別れの手を振った。
300人の招待客のなかには、リンゴ・スター、ジョージ・マーティン、クリッシー・ハインド、ツイギー、ジュールズ・ホランドをはじめ、故リンダの親族や、エリック・クラプトン、デビッド・ギルモア、クリントン前アメリカ大統領も含まれていたと言われている。ヘザーとの不和が噂されているポールの4人の子どもたちも、式には出席した。
ポールのスポークスマンは、「招待客のなかには有名なミュージシャンもいらっしゃいますので、披露宴では即席の演奏をするかもしれません。全員がステージに上がることもあり得ます」と事前に語っていた。ポールの「DRIVING USA TOUR」バンドやインド系アイルランドのグループ、ケルティック・ラーガスも披露宴で演奏しており、豪華なロックンロール・パーティーが繰り広げられたと思われる。
ヘザーは1993年に交通事故で左足を失い、モデル業を断念、以後、地雷撤廃運動家として活動し、ノーベル平和賞にノミネートされたこともある。ポールとは1999年にチャリティ会場で知り合った。
ポールは1967年に結婚し、30年近く連れ添った愛妻リンダを1998年に癌で失っている。
ふたりは2000年3月に正式に交際を宣言、2001年7月に婚約、この結婚はふたりにとってそれぞれ再婚となる。
今回の挙式の写真の使用料(1枚1,000ポンド)は、地雷撤廃運動への寄付を条件にマスコミに提供されることになっている。


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