新着ニュース


ポール、シェア・スタジアムを語る


ポールがシェア・スタジアム出演について自身のオフィシャルサイトで語った。

「シェアは大パーティーだった!」ポールは伝説的なシェア・スタジアムへ、ファイナルコンサートで戻ってきたことについて、初めて話した。「これだけの年月を経てそこのステージに帰ってきたときの気持ち、言葉で言い表すことはできない--しかももう少しで間に合わないと思ったときの気持ちもね」

ポールはもう少しでコンサートにまにあわないところだったのだ!7月18日、ポールの友人ビリー・ジョエルが「Last Play At Shea」コンサートを開催することを計画した。
「ビリーが、そのショーを計画し、僕にも参加しないかと頼まれた。僕はすでにその週末、ケベック・シティでのコンサートが入っていた。リハーサルや移動時間かなんかを含め、物理的に無理そうに見えた。でも僕はとてもやりたかった。ビリーは友達だし、シェアには特別な思い出があるから。僕はニューヨークからケベックまで飛ばなきゃならなかったけど、金曜の夜に向かえば、ショーの最後までにシェアにたどりつくことができるかもしれないと思い始めたんだ。だから僕は何本か電話をして、あとは運にまかせるのみだった。でもぎりぎりになることはわかっていた」。
7月18日(金)、ニューヨークでは、ポールがシェア・スタジアムの最後を記念する夜に、ビリー・ジョエルとジョイントするかもしれないという噂が飛び交っていたが、幕があいてみるとポールの姿はなかった。
ビリーは午後9時にステージに上がり、ポールは何千フィート上空で、ロンドンからニューヨークに向かっていた。ポールの飛行機は、2時間後の午後11時にJFK空港に着陸。ポールはヘフナーベースギターを自ら持ち、飛行機から駆け下り、すばやく入国手続きを済ませ、ニューヨーク市警の車とバイクにガードされて待っていた車に乗り込んだ。フライト中ずっと、ニューヨーク市警は、航空管制管と連絡をとりつづけ、いっさい時間のロスが出ないようにした。
「クレージーだったよ。飛行機に乗ってしまったら、ビリーのショーがどのくらい進んでいるかまったくわからなかった。パイロットが、時間的にどんな感じかずっと僕たちに知らせ続けてくれた。それに後でわかったんだけど、僕たちが時間通りに着陸できるように、航空管制が一生懸命努力してくれていたんだ。飛行機を降りた後も、ショーにまに合うために交通網の中を走っていかなければならなかった。飛行機のドアが開くと、警察と空港警備員に迎えられ、彼らが急いですべての到着手続きをやってくれて可能な限り僕を早く外に出してくれた」。
警察隊はポールをたった11分でシェア・スタジアムに到着させた。
「彼らに本当に賞賛の言葉を送ります。彼らの協力がなければ、間に合わなかった。本当に心から感謝します。ショーに間に合わせてくれてありがとう!」
午後11時20分、ポールがステージに飛び乗り'I Saw Her Standing There'に突入したとき、驚いたのはビリー・ジョエルだけでなくオーディエンスもだった。
「最後の夜にここに来ることができて最高だよ」とポールはステージから63,000人を超えるオーディエンスに言った。「ずっと昔僕はここに来た。あの夜は大パーティーだった、そして僕たちは今もう1つの大パーティーのまっただ中だ」。ポールはそして'Let It Be'でその夜をしめくくった。ビリー・ジョエルがバックボーカルを担当。このショーはビートルズのシェア初のコンサートと同じように、耳が割れんばかりの大声援で幕をとじた。


[新着ニュース一覧にもどる]