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もしもジョンが1981年にツアーを行っていたら


レッド・ツェッペリン、エアロスミス、ヤードバーズのローディーを担当していたヘンリー・"ザ・ホース"・スミスは、1981年のジョンのツアーのローディーを依頼されていたとRock Cellar Magazine とのインタビューで明かした。
スミスは、ジョンの1981年5月に予定されていた「ワン・ワールド、ワン・ピープル」ツアーのことを語った。そのツアーで彼はロード・マネージャーと、事実上のブッキング・エージェントをするはずだった。スミスは1980年に、ジャック・ダグラスから、ジョンを紹介された。それはアルバム“DOUBLE FANTASY”の完成の直後だった。
ジョンが全米およびヨーロッパ・ツアーを行うという公式発表が1980年10月8日にされた。“DOUBLE FANTASY”でジョンと一緒に仕事をしたミュージシャン達は、ツアーのために活発にリハーサルを行っており、ジョンは7カ月後にツアーを開始することを望んでいた。スミスが連絡を受けた時点で、ジョンは、ロード・マネージャーとクルー・サポートを探していた。スミスは、ニューヨークのレコード・プラントで初めてジョンで会ったときに、いかに緊張したかについての記憶を語った。「だって、ジョン・レノンだよ! 僕はとても緊張していたのでジョンと話していたときに、自分の脚を思いっきりつねって、黒と青のあざができてしまった」。ジョンはこれから行われるツアーについて話すとき、非常に飾らない様子だったという。「ブライアン・エプスタインが、いつもそうしたことの世話をしてくれていたので、ジョン自身は音響や照明について何も知らないと言った。『スイッチを押して電気をつける方法は知っているし、ラジオの音量と上げ下げすることはできるよ』とジョンは冗談を言った」。そしてスミスがジョンのロード・マネージャーになり、スミスの長年のローディー仲間で有名な音響照明会社「ブリタニア・ロウ」のディック・ハンソンとジョン・コンクを含む中心的技術者グループを召集することで合意された。
演奏曲は“DOUBLE FANTASY”収録の主要曲だろうという印象をスミスは受け、ビートルズやジョンのソロの楽曲を演奏するつもりかは定かではなかった。ジョンが演奏するだろうものについて、多くの噂があった。練り直された初期のビートルズ曲、ジョンのソロの曲、50年代の曲が、“DOUBLE FANTASY”収録曲に加えてツアーのセットに含まれることを示唆されたが、ジョンは楽曲を披露する目新しい方法が準備されていることも示した。
「コンサート中に、ステージ上のジョンとヨーコが、その曲の意味することを絵で描くことが考えられていました」


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